Physical Impossibility of Death

 薄暗い階段の踊り場で前を往く背中が唐突に止まる。
 厳つい鼻を動かすのが肩越しに見えた。
(血と硝煙)
 ちらりと振り向いて唇の動きだけでそれを伝えると、レヴィはまた前を向いた。
 あらまあ、ブッキング?
 今回の仕事は老害の駆逐。ボンゴレに跪きながら、その後手で他国へと汚い手を伸ばして甘い汁を吸っていたダニの掃除。
 どうやら手を咬まれたのはこちらだけでないらしく、同じ目的で来たアサシンとかち合ってもおかしくはないというマーモンの予想は当たってしまったのかしら。それとも内輪揉めか。
 はっきりしているのは私たちがヴァリアーである以上、余所の三下に後れを取るわけにはいかないという事。
 例えいま、私たちの行き先で既に粛清が行われ、醜い屍が出来上がってようとそれは大したことじゃない。薄く流れた血は、濃い血で上塗りすればいいだけのこと。

「どうするの?」
 細かい組み立ては慣れているレヴィに任せることにして、私は従順にお伺いを立てる。
 到達すべきは階段を上った突き当たりの会議室。
 私たちがそうであるように、相手もたぶん単独で来ている。
 下階の造りと資料から推察した距離は、階段を上がってから30歩程。私とレヴィの歩幅ならもっと詰めることが出来る。
 いろんな要素を頭の中で並べ立てているらしく、もとから細い目をさらにきゅっと窄めているレヴィは、あら、なかなかチャーミング。

「60秒後」溜息のような密かな声が私の耳に届く。
「走って蹴破れ」
 それだけ告げて押し黙ると、眉間を揉みながら息をゆっくり吐くレヴィ。
 身体から力を抜いて立つ。手指を数回屈伸させて、だらりと垂らす。
 その後は動かない、瞬きすらしない。目は前を見ているけど、焦点が判らない。呼吸もしていない。
 鉄の発条をぎりぎりと引き絞るような時が過ぎる。

 58、59、60。短い呼音と共に全力で駆ける。
 半歩後ろに同じ速度でぴたりと付くレヴィを認識しつつ、閉ざされた扉の奥でこちらを向いてぶわりと膨らむ殺気に首筋が総毛立つ。
 それでも止まらない、止まれない。失速の代償を全身で払う破目になるのを経験が教えてくれる。同時に感じる暗い愉悦。例えるなら真っ暗な崖を爪先立って覗き込むような。死に近しい時にだけ感じる特権的な快楽。
 その感触に身震いしながら膝を振り抜いた。速度で上乗せされた鋼の強度。
 弾け飛ぶ扉の破片を潜って、私の後ろから黒い影が低い位置を走り抜ける。
 開けた視界に向けられる銃口。殺手はガンナー。二つ揃った拳銃に知ってる誰かを思い出す。
 私のそんな呑気な感想と銃口を無視して限界まで引き絞られた鉄のバネ。レヴィが身を捻る。床を踏みしめた足から腰、腰から肩、肩から腕へと連動された力を込め、弾丸じみた速さでレヴィから傘が放たれた。なんの躊躇も見せずに投げつける雷の槍。
 それを最小限の動作で避される。部屋の四隅に突き刺さる傘。
 私がその目の前に、飛び散る中で一番大きな破片を蹴り上げる。叩き付ける、ささくれた木材。それすらも避けられる。拍手したいくらいの反応速度。私へと向く、ぽっかり明いた銃口に吸い込まれそうになる。それすら愉悦の内。
 それをどこまで見越していたのか。
 間隙を縫ったレヴィの二撃目、更に低い姿勢のまま振りかぶった腕から展開されるパラボラ。
 さっき天井に刺さったものまでが一斉にふわりと開いて瞬くのを確認する前に、恍惚から我に返った私は踵を返して床に伏せた。
 サングラス越しでも眩しい閃光。
 そして暗転。

「やーねー、もう。……ねぇ、私の背中焦げてない?」
 いくらある程度の広さがあるからって、屋内で雷をおこすなんて非常識だわ。
 ぷりぷりしながら完全に炭化して突っ立った真っ黒コゲのオブジェを見て溜息を付く。
 二丁の拳銃を構えた彼は、中途半端に髪が長いのを除けば好みの部類だったのに。勿体無いわ。
 
 同じく消炭になった――こちらは寝転がったままで丸太みたい、本来の標的を突付いていたレヴィの手が不自然に止まる。
「どうしたの?」
「いや……別に」
「どこか怪我でも?」
「いや……特に」
 しばらくの押し問答の末、レヴィが白旗を上げて手袋を外す。下から、小さな火傷と割れた爪が現れた。 変色した手を取ってしげしげ眺める。先週わたしが整えたばかりの爪が無残にひび割れてるのを見るのは正直良い気がしない。どうやらそれについて申し訳なく思っているらしいレヴィが飼い主に叱られた大きな犬みたいにしょんぼりする。大男の後ろに垂れた耳と巻いた尻尾の幻影が見える。

 でもまあ、しょうがないわね。
「生きていれば、また爪も伸びるわ」
 私の言葉にあからさまに表情を緩めるレヴィ。もう、さっきまでのヴァリアーの貌はどこにいったのかしら。
 情けない彼へのささやかなイジワルとして、割れた爪を補修したらレヴィの嫌がる派手な黄色と黒で爪に雷模様を描くことを決めて私は手を取ったまま微笑んだ。


オカンに勝てないレヴィ



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