斜め後ろで上がった嬌声に、鉛が詰まったような頭を回す。
ああ、そういや天丼やら何やら突っ込まれる耳も、流石に溶かした鉛は流し込まれたことねぇな……畜生、いま相当酔ってやがる。鉛流したら死ぬだろ、普通。
自分の思考に頭痛を覚えながら向けた視界に入ったのは、鈴なりの女たちと、そこに埋もれた、尖った髪先。
普段は嫌がるレヴィが珍しく酔っているのをいいことに、腰や胴、果ては首にまで華奢な腕を回してぶら下がっている女たちは、髪や肌色、纏ったドレスの色も全部違ったが、とても美しく、馬鹿みたいに金がかかる点では共通していた。
大金積まれても気に入らない客には肘鉄を食らわすじゃじゃ馬どもが、もれなくじゃれ付いてハイスクール女生徒みたいなクスクス笑いを交わす光景は滅多に見れるもんじゃねぇ――横で見ていて楽しいかはさて置いて。
しかしなんでコイツ、玄人女にだけはこんなにモテるんだ?
毎度の疑問とアルコールとが結合して解答を捻り出す。
変な専用フェロモンでも出てんじゃねぇのか。
おい。呼びかけて返事を待たずゴツイ首にしがみつく。
「レヴィ、テメエばっかりずりぃぞ」
首筋に顎を乗せて、ごりごりとそのまま擦り付ける。
フェロモンっつーのは匂いみたいなもんだろ?ならこうしてれば移るだろ。
酔っ払いの奇行に空気が凍ったのは束の間、すぐに切り替えたのは職業柄さすがと言うべきか、きゃらきゃらと女たちが笑う。
「もう、びっくりさせないで。猫のマーキングごっこ?」
「ずるいわ、私も」
しなやかな身体とでっかい目がそれこそ猫のような女が、体をくねらせて更にレヴィにしなだれかかる。驕慢さと無邪気さが閃く緑の目に、少し見とれた。
って! だから、なんで、レヴィばっかなんだよ。
意地になって擦り続けていると不意にシャツの襟をつかまれて引き剥がされる。
猫の仔みたいに吊り下げられた目先には、見慣れた不細工面と鈍く光るピアス。
やべ、流石に怒ったか
深い眉間の皺に焦った首筋に硬い感触、それがレヴィのものだと気付いた時にはしっかりと頭を固定されていた、ご丁寧にオレの髪を手に巻きつけてやがる。
酒精に火照る熱い額が喉に押し付けられて、襟から覗いた素肌にくすぐったい。
さっきまでオレがしていたように擦り付けられる。悪趣味すぎる仕返しに鳥肌。
「お前だって」
「あ?」
「ボスは、お前にばかり」
ぽつりと放たれ、オレの耳だけに微かに届いた声の響きに応えられずに、目を泳がせて辿り着いた窓の外。身を切りそうな冷たくて深い闇に比べると、オレたちを包む夜がずいぶんと柔らかいことに今夜初めて気付いた。
目覚めたら光に溢れていた。光が溢れていたから目が覚めたのか。どっちだ? どうでもいいことは気になるくせに、憶えのない天井とベッドにも警戒を持たなかった理由は、隣に転がる男の寝姿。
気前良く陽光を落とし込む天窓の分厚いガラスが何処かで焚かれているスチームの蒸気に曇り、飾り気のない壁には代りとばかりに植物の鉢植えがずらずらと並べられている。
暗殺者の隠れ家にしてはずいぶん健全な造りに感心しながら、暖かく湿った光に水槽の中を連想した。
道理で泳ぐ夢を見る筈だ。夢と一緒に昨日を反芻する。
他の客がいるところで飲むのが面倒になったから札びら切って店を借り切ったところまでは正気だった。馴染んだ女だけ侍らせていた時間も、空けた酒壜の数も一応覚えている。 それでもこのベッドに倒れ込んだ前後がすっぽ抜けた記憶を手繰りながら、そろそろと用心して手を下ろす。
目的地は自分の下肢。下着は付けているし、おかしな感触もない。
そこまで確認して、そんな心配をする自分に盛大に脱力した。レヴィだぞ、横で寝てんの。
「何を暴れてる。邪魔だ、出て行け」
あまりの自分の間抜けさに、顔を毛布に埋めて笑っていると、起きたレヴィが腫れぼったい目を向けてきた。貞操検査、と素直に申告したら全力の蹴りが入る。
オレとレヴィがあと一組くらい寝転べるクソでかいベッドの端まで吹っ飛ばされて上半身ずり落ちながらも、酒が抜け切ってなくて麻痺してんのか、痛みを感じずに笑い転げていたら、硬い声で名前を呼ばれた。
「随分無用心に寝入っていたな」
何でか朝っぱらから説教される。どうせ次に来る言葉はボスが云々だ。
「今はヴァリアーも開店休業中だろぉ」
適当に受け流していたら昨夜聞いた話が甦る。確か、当人が席を外した隙にレヴィのどこがいいのか聞いたんだったか。
『困った顔も可愛いから、苛めてみたいけど』
(う゛お゛ぉい、全然答えになってねぇぞ)オレの突っ込みも無視して口々に繰り広げられるレヴィ談義。
『でも、最後は幸せにしてあげたいわ』
私たちが幸せに出来るかは置いておいてね、鮮やかに笑う女たちの逞しい優しさに、両手を上げて降参した。
幸せ、なんて大層な単語は良く判らねえけど。
世界が柔らかなもので作られている様な、そんな夜と朝。
取りこぼしたたくさんのモノがあって、どうしようもなく欠けているオレたちにも。血も嘆きも生死の境界も、嫉妬も傲慢も憤怒も無いような柔らかな夜と、水槽の中みたいに光に溢れる朝があっていいような気がした。
それを感傷と呼ぶことなんてとっくに知っていたけど。それでも、昨日は
「楽しかったなぁ」
返事なんて最初から期待してなかった。だからレヴィが眉を寄せたながらも頷いたもんだから、驚いたオレは不安定な姿勢を支えきれず、今度こそベッドから落っこちた。
逆さから見たこの部屋は、相変わらず光に溢れて、やっぱり温かな水槽の底にでもいるみたいだった。
レヴィアンソロジー(2008)掲載