「あら、お暇なら寄ってらっしゃいな」
半分開いた談話室の扉をふらりと覘き見た(そしてボスが居ないのを確認したらさっさと通り過ぎようとした)レヴィに声をかける。
珍しく何の仕事も手元に回って来ていないらしくて退屈、と顔に書いてあるレヴィは素直にやってくる。
「多いな」
ちょっと眉を寄せて評したのは、私がさっきまでモンテナあたりを回って持ち帰ってきた戦利品の量について。
椅子の上に山積みになっているその紙袋とリボンのかかった箱を退かせるでもなく、斜めに腰掛ける。
だって、この頃つまらない仕事ばっかりだったんですもの。このくらいしないとストレス解消にならないわ。
でも靴とかって、どちらかというと溜めこんだ後より、買う瞬間が楽しいのよねぇ。
ライトアップされたウインドウ越しにまだ誰も足を通していない最新コレクションのモデルと出会うときめき。前のシーズンに買い逃したブーツが露天のワゴンに押し込められているのを掘り出して巡り合った時の感激。
高い安い、合う合わないはこの際あまり関係ないの。
ステキな靴との出会いがくれる魔法みたいな瞬間。
うっとりと幸せを噛み締めながら持論を披露すると、レヴィは宇宙語でも聞かされたみたいな顔をした。
もう、女心に理解を示さないとモテないわよ。
そういえば、あなたが買い物をするのを見たこと無いわね。
気付いた私は、改めてレヴィの私服姿をしげしげと眺めた。
服の上からはっきり見取れる胸板の厚さ、肩から首までの屈強さ―ちょっと、レヴィったら最近首太くなってない? 上腕と太腿はいいとして、それは減点ものよ―。腰回りは一片の無駄もなく引き締まってる。
まあ、好みは置いておけば悪い肉体ではないわね。
ただし、問題は。
シンプルすぎてつまらないシャツとズボンは、いつもの隊服と同じ色。目元と唇を繋いているピアス以外のアクセサリーはなし。
最後にモカシンを履いた足に辿り着く。零れる溜息。
長持ちする靴に価値があると考えているミラノのおばさんじゃあるまいし。履き心地が良いのは分かるけど。
ハッキリ言って、微妙よ、それ。
何とか改善できないかしら。
別に、『磨けば光る素材』とかそんなわけじゃないけど。同僚として放って置けないわ、妙な使命感が沸く。
「レヴィ、来週いっしょに服と靴を買いにいきましょう」
「着せ替え人形が必要ならスクアーロでも連れていけ」
こちらの真面目な提案を冷たく一蹴したレヴィが、私の膝の上で動いた茶色の毛玉に気付いてぎょっとした顔をする。
あらやだ。やっと気付いたの?
ふかふかのウール地の膝掛けに半分以上埋もれていたから見辛いにしても、鈍いわよ。
「なんだそれは」
「猫よ」
「ネコぉ?」
「仔猫よ」
「こねこ……」
飼いたての鸚鵡みたいに私の言葉を反復するレヴィに、さっきまで大人しく寝息を立てていた仔猫が起きだしてミュウと鳴いて挨拶をする。
「拾ったのか?」
「預かったのよ」
ほら、一度あなたも会わなかったかしら。デザイナーとして著名な友人の名を挙げると、曖昧に首を振る。
「何故」
レヴィが続けざまに疑問をぶつけてくる。隠す事でもないので素直に教えてあげる。
「賭けをしてるのよ」
そう、買物途中で偶然会った友人と話をしているうちにゲームをすることになったの。
彼の飼い猫が最近産んだ4匹の仔猫。
その内の1匹を私がしばらく預かって、選んだその子の目が、『青』なら私の勝ち。
負けたら残りの3匹も入れて里親探しを手伝わなければいけないのだけども。
そこまで説明したところでレヴィが仔猫を指差す。
「青いぞ、コレ」
「仔猫のうちは大概ブルーなのよ。大きくなったら色が変わって緑だったり、銅色だったり片方ずつ違う色になったりするの。もちろんブルーのままの猫もいるわ」
「それで、勝てばどうなる?」
「オホホッ、よく訊いてくれたわね!」
結果が分かるのはまだ先なのに自然と頬が緩む。
「最高にゴージャスな靴を彼に作ってもらうのよ!」
今までどんなに頼んでも、女性の華奢な物しか頑なに作らなかった彼が、賭けに勝ったら私のためだけにデザインしてラインを動かしてくれるの!
どんなに素晴らしい靴に出会えるか、考えるだけでドキドキしちゃうわ。
舞い上がる私に、レヴィが宇宙人でも見るような視線を寄越す。
(大丈夫かしら)
思わず手を頬に当てて呟きながら、私の体は勝手に回避行動を取る。背後でドラム缶が真っ二つに割れる。
もうすぐ新年だっていうのに、いきなり香港に出張なんてボスったら酷いわ。挙句にはこんな油臭い海辺の廃工場で、三流カンフー映画みたいな決闘をする羽目になるなんて。
レヴィの部屋の前に、リボンを結んだバスケットに置手紙と必要なペット用品と一緒に入れておいたから風邪引いて死んでなんてないと思うけど。あんまり無責任だったかしら。でも誰にも告げずに急いで出なければいけない任務だから仕方なかったのよ。
心の中で言い訳をするのに忙しくて、ちっとも身が入らない私に業を煮やしたのか、相手は振り回していた青竜刀を収めて、徒手で挑んでくる。
「…もうっ! そもそも、ちっっとも、好みじゃないのよ!」
隆々とまで贅沢言わないけど、せめてしなやかな体くらいして欲しいわ。なんで骨に皮を貼り付けたような皺くちゃジジイ相手にしなきゃいけないのよ!
抗議を込めて膝を振り上げると、お馴染みの骨と肉を砕く感触。でもちっとも嬉しくないわ。
ああ、次の飛行機は何時だったかしら?
「残念だったな」
走って戻った私を迎えたレヴィが無表情に告げる。
「……え?」
慌てて毛布を敷いたバスケットを覗き込んだら、ちょうど欠伸をし終わった仔猫と目が会う。黄色がかった淡いグリーン。
ほっとしたのと、残念なのが混ざり合って、しゃがみ込んでしまう。
そんな私の手を舐めにヨチヨチ歩いてくる仔猫は、毛並みが出かける前よりずっと艶やか。
聞けばトイレの躾も完璧、爪とぎも決まった場所でするように教え込んでくれたみたい。
「ありがとう」正直、賭けに負けたのは悔しいけど。
「ベルがガキの頃よりは手が掛からなかった」
ぶっきらぼうだけど照れくさそうに応えてくれるレヴィへの御礼はどうしましょう。
そうだ。今度、靴でも見立てようかしら。
『旅する獣』(2008年冬コミ)