From Dusk Till Dawn

 雷に焼け焦げた幹に身を預け、緩やかに消えていく閃光に視線を投げる。
「ハハ……」
 勝手に口角が引きあがる感触を不思議に思って手を上げて当ててみると、知らず笑っていた。
 そんな悠長な事をしている場合ではないのだが。
 自分で自分に呆れながら、隊服に入れてある細いアンプルと止血用の布を引き出す。
 血に滑った指では時間がかかったが、処置は済んだ。用済みのアンプルを投げ捨てて、自分の胸を見下ろす。
 呼吸は、浅い。傷は、深い。
 貫通した傷は、うまいこと『抜けて』いるが、それでも数十分は動けない。動けば死ぬ。
 累々と転がる黒焦げを片目で数えながら、もう片方で周囲を探る。
 大将を吹き飛ばされた部隊は退却を始めたらしいが、腹に穴を開けて転がっている敵を見逃すほど、平和主義者でもないだろう。
 遭遇すれば、おそらく、この命運が転がるだろう。それまでの貴重な時間。
 さて。何を考えようか。

 悠長な事をしている場合ではないと、分かっているが。
 呼びかけるように、手繰るように、思い出す。繰り返すのは、遥か彼方、空へ放たれた大きな光。
 空を焼いて、風を呼び、雨を、嵐を、霧を、晴れを、雷を呼ぶ強い光。


 凭れている木の上が、ザワザワ翻り、真横に影が二つ降ってくる。
「うわー、なさけなー」
「そーですねー」
「どーすんだよー、これなら寄り道しねーでさっさと城戻ったほうが早かったし」
「歩いて帰るのたりぃーから、乗せてもらおうとか言ったのセンパイじゃないっすかー」
「置いてくかー」
「そーですねー」
「テメー、見殺しにする気かよ」
「ミー、こんなデカイの担げませんってば」
「つーか、レヴィさー、雑魚相手になに一人で死にかけてんの?」
「ボスに醜態晒す前に、ここらへんでトドメを刺してあげるのも気配りかもしれませんねー」
 それでも立ち去るでもなく、オレの腹を蹴り上げる気配みせずに愚図愚図と掛け合いを続ける。
 その姿に、優しさが零れるように見えるのは、失血が多くて朦朧としているせいかもしれない。
「あーもー。雷エイなら早く戻れると思ったのになー」
「そーですねー」
 嵐と霧のユニゾンが絶妙にせかす。

 ――そうだな。早く。

 乾いた唇を少し舐めて開くと、鉄錆の味が舌に残った。
「トルペディネのボックスが向こうに落ちた。乗せて欲しいなら拾ってこい」

   ――あの人の許へ帰らなければ。




18 帰路






「あら、残念」


 投げかけられた言葉を消化する前に、とりあえず抱えた物体の始末に取りかかる。
 着地点を見出すことから難しい、有象無象がひしめく長机の上を肘でこじ開けた。
 大学側からの嫌がらせのように別棟に設置されたコピー機が吐き出した分厚い紙の束を置いて顔を上げると、絶妙かつ危険なバランスで棚の縁に立っているウミネコの剥製と目が合う。
 オオカバマダラの標本と分子模型が散らばる辺りに手を突っ込み、紙を綴じるための文房具をなんとか引っ張り出す。ちなみにここに初めて足を踏み入れてから700日が経ったが、鳥や昆虫や分子に関して学んだことは一度もない。
 20年前の日付を刻む褪せた新聞束の壁に体をねじ込み、来年度の予算をもぎとるためにそれらしく並べられた文字列を綴じていく。
「なんの話ですか、教授」

 飴色の木製のファイリングキャビネットの上に別の資料を積み終わってから、一応の義務として質問する。
「さっきまで、可愛らしいお客様が訪ねてきていたのよ」
 あなたがコーヒーを淹れて、この部屋を出てからすぐに。そしてあなたが戻ってくる少し前まで。
 付け加えられた説明を聞くまでもなく、粗大ごみと骨董品の境目から二歩手前で揺れるコーヒーメーカーの中身を確かめるまでもなく、誰かが居て、そして去った気配はあった。

「それがねえ、可笑しいの。王子様みたいな格好をした子がいつの間にか入ってきていて、何も喋らずに出て行ったの。ねえ、私のお弟子さん、あれは誰?」
 そんな怪しい客にコーヒーを出す貴方も大概おかしい。そんな言葉は、学内指折りの名物教授にとって今さらにも程があるので飲み込んだ。
 替わりに、おうじさま、と口の中でそっと転がす。舌先に感じる感触は、タバスコとニガヨモギを同時に口にした時と似ている。
 この研究室の中で殆ど唯一、物の氾濫から免れている華奢な飾りテーブルに手を伸ばす。来客用カップはまだ仄かに温かく、溶け残った砂糖が夕暮れの光に濡れている。
 そうですね、きっとどこかの頭の変な暗殺者じゃないですか。
 投げやりな回答の何が楽しいのか、書物机に肘をついた教授が目を細める。その横ではゴブレット型の花が慎ましく下を向いている。どんな季節だろうが絶えたためしのない薔薇が毎日何処からやってくるのか、オレは知らない。
 



06 糖衣構文






 丘で戦い、平地で戦い、海辺で戦い、街路で戦う――消耗戦でなく殲滅戦

 秩序も躊躇も憐憫もなにもなしに踏みつぶせ。それが出来なければ踏みつぶされろ。そんな任務。
 「なにそれ?」
 作戦概要を何度言い含めても理解しようとしない子どもと一緒に戦地に放り出された。
 2人と大勢の延々と続く戦闘。まだ終わらない、まだ、まだまだ。
 いつまでも。

 そして今は冬山。軋む音で目が覚めた。
 薄い毛布を巻き付け腰掛けて眠った姿勢のまま見上げると、くすんだ梁がみしみしと不吉な音を立てている。
 埃臭いが頑丈だけが取り柄だった筈の山小屋も、数日降り止まない雪に音を上げてきているのか。
 万が一ここが崩れて拠点を移すとなれば、随分移動しなければいけない。
 その間に敵と遭遇する確率、その場合の対処。そんなことをぼんやり頭の中でなぞっていると、目下にある金色が擦り寄ってきた。
 「ベル?」
 呼びかけたが返事はない。当然だ、起きていたらこんなことは絶対にしない。
 無意識に暖かい場所を探してか、オレの胸にぐりぐりと押しつける頭を引きはがす。
 知らず、寒さ以外の要素で奥歯が鳴る。いとけない仕草に沸いた感情は特にない。
 ただ上層部に対する呪詛だけを胸に溢す。体温調整が碌に出来ないガキを寒冷地の任務に寄こすな。
 ソファから足を下ろすと白く霞む息が漏れる。床は冷たい。
 足を起点に覚醒していくように、意識が冴える。
 足から腰へ、腰から背筋へ、冷気が巡り、体の熱が吐息と一緒に吐き出されていく。
 もう何もないと不意に実感させられた。選択肢なんてない。凍え死のうが負けて死のうが終わるまで逆らうことすら考えつかないよう、飼い慣らされようとしている。
 重い何かに押さえつけられてような錯覚。
 部屋の隅に向かって歩く前に毛布をガキの上に放り投げる。
 残り少ないコークスをスコップで掬い、ストーブへ放りこんだ。炎が揺らめく。


 あの人は、
  ――あの人はもっと寒い


 湿った感触に腕を見ると、換えたばかりの包帯に赤が滲んでいる。
 少量の血と共に余計な考えが抜けていく。
 体は熱い、傷は塞がる。
 大丈夫。毛布が無くても、あの人の名前を呼べなくても。もう一度あの人に会うまでオレは大丈夫。




03 雪中、遠い夜明けを待つ






 日付が変わってしばらくした頃、溜まっていた書類処理が一区切りついた。
 凝り固まった首を捻って鳴らしていると、今夜は食事を摂らなかったことを思い出す。
 使用人を呼びたてるほどの空腹でなかったので、あてがわれた区画に備え付けてある小キッチンに降りて棚を探った。
 ずっしりした豆の缶詰を見つけ出し、それを片手に小鍋を火にかける。
 冷凍庫にあったチキンストックを解凍していると足音が近づいてきた。金色がひょっこり覗く。
 物音に起きたのか。伸ばした前髪越しにぼんやりした視線でオレと缶詰と小鍋とを眺めると、さっきのオレと同じように棚を探った。皿と匙を一組だけ取り出して、それを持ってさっさとテーブルに座る。
 分かりにくい催促に、オレは半分量だけ掻き出していた缶詰にもう一度フォークを突っ込み、残りも全部鍋に入れた。


 温かいスープを腹に収めるとやっとひとごごちつけた。ただし、顔を上げるとうんざりするような光景。
 テーブルの向こうは船を漕ぎながら皿をかき回すだけで、ちっとも減っていない。たまに思い出したように口に運ぶと、ぼたぼた、半分以上が零れてテーブルを汚す。
 呆れつつ、スープが波立たない程度に指でテーブルをコツコツ叩いた。
「……寝るなら部屋に戻って寝ろ。無理して食べるな」
「はあ? どこに目ぇついてんだよタコ、起きてるし、食ってるだろ」
 一瞬で返ってくる口応えだけは立派で結構。がちゃがちゃ鳴らす皿からは、食ってるというよりテーブルに食べさせているようにしか見えない。
「はね飛ばすな。それと皿に口をつけるな。犬か、貴様」
「うるさいってば」
 すこしばかり驚くことが起こった。口では反抗しながら、だらしない姿勢がすっと改まった。テーブルに貼り付いていた上体が起きて、背筋が伸びる。逆手に握り込んでいた匙も、きちんと持つ。左手は膝の上へ、顔は前へ。
 一応、頭に被った小冠は酔狂でないということか。詳しい出自は知らないがそれなりの躾が染み付いているようなその姿に、ゆるく笑いがこぼれる。
 意外な反応が面白くて、つい小言を重ねる。
「ほら、肘をつくな。ちゃんと噛め」

「はい、はい、はーい。わかったってば兄様!」

 減らず口を叩くクソガキに、「返事は一度」と言い――かけて、聞きなれない単語に眉をひそめた。

「『にいさま』?」
「え?」

 質問したのに何故か疑問形で返される。
「……」
「……」
 妙な間が開いて沈黙が漂う。

「……う」
「う?」

「〜〜〜っ!!」
 こちらに飛来する匙。とりあえず叩き落とす。間髪いれずに皿が「中身ごと」飛んできた。
「ぬおっ?」
 なんとかかわした後に見えたのは、短い手足をバタつかせて椅子から飛び降りる子ども。耳の付け根まで真っ赤に染まっている。
「おい?」
「馬鹿レヴィ! 尻から豆つっ込んでしね!!」
 絶叫の余韻そのままに走り去り、残されたのは嵐の後みたいなテーブル。何だったんだ。
 奇跡的に無事だった自分の皿を見下ろす。一匙分だけ残っていたそれを掬って飲む。
「……豆が嫌いだったのか?」




02 ひよこ豆スープ






 12月の夜。
 ピアスは唇へ染みるような金属独特の冷気を伝え、穴を開けるのは春まで待てばよかったと後悔。
 ラジオはノイズを交えながらローマでの試合を中継中。その前で陣取った住人たちの上擦った声と共にアパルトメンの窓から洩れ聞こえてくる。
 屋根から見下ろす袋小路では、1時間前に始まった狩りの決着が付くころだった。
 監督するよう命じられた受験者は8歳で、乾いた誰かの血をこびりつかせたままオレの前に現れた。
 追い詰めた大男に向って嬲るようにナイフを投げ、四肢を一つずつ壊していく。入隊したらあの遊び癖は矯正せねば。チェックリストに印を刻みながら、備考を書き足す。
 ラジオががなりたてる神頼みのロングシュート。観客の声援は眼下の金属音と命乞いをかき消す。
 足元で命を絶つ最後の一投が閃く。アヴェ・マリア。胸の内で埃を被っていた言葉が飛び出す。
 返り血でくすむ中でも鈍く輝く小冠を頂いた金色を、恩寵のように美しいと思った。頭の側では冬の月がもうじき沈んでいく。
 こちらを見てニヤリと裂けた口に、これから起こる長い長い苦労の予感が湧き上がる。
 慌ててさっきの迷い言を撤回する。神もブッダもくたばってしまえ。




01 入隊試験



 8才からずーーーっととかどんだけだよ 



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