野の羚羊

「オマエ何様のつもり? オレのこと庇って恩でも売るつもりだったのかよ。んで、下手こいて土手っ腹に穴あけてぶっ倒れてんの? 馬鹿じゃネーの。つか馬鹿だろ。馬鹿で、鈍くて、ムッツリ不細工で……オマエってさ、いいこと何にもないよな。よくそれで今まで生きてこれたよな、超不思議。どうして王子がオマエなんかと一緒にいてやらなきゃいけないんだよ。あーもー、鼻血とか出してんじゃねーよ。服が汚れたろ。さっさと止めろよ。もうやだ。王子、帰る。帰って寝る。先に風呂入るからいつもみたいに泡立ててよ、この前作ってたミント味の冷たいミルク用意しろよ。早く起きろよ、愚図。オマエ以外の誰がするんだよ。ボス寝てるし、鮫はどっか行ってるし、マーモンは無駄金かかるし、オカマは煩いし。オレの傍にいるのオマエしかいないだろ、オマエみたいなどん臭いヘン顔の勘違い野郎に付き合って傍にいてやんのはオレ一人しかいないだろ。 だから 死なないで 置いてかないで」
 そう言ってぐしゃぐしゃ泣くオレの頭、撫でようと上げたレヴィの腕は途中で力なく落ちる。結局、救援が来るまで無力な小さい子供は、頬に塩辛い滴を振り注ぐことしか出来なかった。




「だぁあぁぁ! ざッけんなぁぁ!」
 爆発しやがれ! ボロ糞ボイラーに悪態つきながらいきなり冷水を撒きだしたシャワーから飛び出す。
 冷えた肌に秋の冷気が追い討ちをかける。
 ああくそ、誰だよ、ボイラー修理工呼ぶのサボった奴。王子が風邪引いたらどうしてくれんだ! ぶっ刺してやる!
 ……ってたしかこの当番オレじゃん! え、コレ自業自得なの?
 一瞬浮かんだ、しおらしい考えを王族の誇りが捻り潰す。 
 いやいやいや。どの使用人も使わないこの屋敷で、采配上手ヅラしてこんな雑事を王子にやらせるレヴィが悪いんだ、そうに決まってる。
 当然の結論を引き出せたのに満足したオレは、レヴィの部屋の暖かいシャワーとタオルを使うことに決めて、簡単に体を拭ってから棟の反対側に向う。
 靴を履くのも面倒で裸足で歩いてると、ぺたぺた間抜けな音が人気の無い廊下に響いた。
 窓から遠くに見えるミラノの街灯り。
 幹部だけで適当に使っている此処には今、オレとレヴィしか居ない。オレらも好きで本部からも街から遠い、武器庫に毛が生えたみたいな不便な施設を使ってるわけじゃないけど、今夜は仕方なく緊急避難。
 他の奴らはみんな、下の街でサッカー見てる。
 つーかさ、暗殺部隊―まあ今は特殊部隊だけど―が、お手手繋いでスポーツ観戦って何かの冗談?
 祭好きのボンゴレの端くれってことかもしんないけど、それにしても今シーズンは異常だ。何かに憑かれたみたいに、幹部全員でロマみたいにイタリア中を放浪してはスタジアムに入り浸る。
 試合中、スクアーロはパンピーと一緒になって普段より3割増デカイ声で喚いてるし、マーモンは籤の胴元、ルッスーリアも目当ての選手の尻を追っかけ回してそれぞれ忙しくしてる。
 我らがボスは……何してんのか見当付かないけど、きっと楽しんでる。
 さっき聞いたラジオ実況じゃ、けちょんけちょんにスペイン負かしてたから、今ごろ街中は酷い騒ぎ。  こんな日は鼻息の荒くなった貧乏人たちのクラクションや雄叫びが明け方まで煩い。
 ボール追い回す遊びの何が面白いのか、未だによくわかんないオレは街から離れた塒で暇を持て余すのが最近では恒例になってきてる。
 ついでに足してやると、元からそんなに興味無かった上に、いつだか負けたスクアーロの贔屓を「お前に似合いのくだらないチームだな」なんてこき下ろしたのがボスのお気に入りだった傑作な出来事以来、一切見なくなったレヴィも。
 そろそろ観戦ツアー―という名目のボスの『家出』。だろ? どうみても。偶に本部のジジイが偶に羽目を外し過ぎてないか監視を寄越すけど、オレに言わせればバカ親の過保護だ―に付き合うのも飽きてきた。最近は人殺しの機会もグンと減った。
 潮時かな、とも思う。クーデターとか離脱とかじゃなくってさ、なんて言うんだろ。どうすればいいんだろ。

 おちつかない、おだやかすぎて。

 そうこうする内に北端の部屋に着いたから足でドアを蹴り開ける。電気付いてなくて薄暗いけど、奥に気配。
「なにしてんの」
 窓際に寄せたベッドの上、ムッツリが濡れ髪のままでひっくり返っている。
「シャワーを浴びていたら水になった」
 おお、間抜けなユリウスよ、お前もか。
 がっかりしたオレは回れ右して部屋に戻ろうとした。いくら暇でもトンマの話し相手とかしたくない。だったらサボテンかラジオにでも話かけたほうが断然マシ。
 それをさせなかったのは、オレの方を一度も見ないで放心したように窓の外に注がれるレヴィの視線。
 街を見下ろせる南向きのオレやボスの部屋と違って、北向きのここからは、山しか見えないはずだけど。
 気になって傍に寄ってみた。
 小さな窓に切り取られた風景は立ったままだと見辛くて、ベッドの上、レヴィの横に膝で乗り上げる。
 想像通り、ひねこびた松林と狭い空しか見えない。
 そこに、ひとつの兆候。
 パッと稲妻が走った。遅れて届いた耳が壊れそうな轟音をレヴィは気持ちよさそうに聞いてる。
 うーわー、変な趣味。根暗。きもい。誰かコイツどっかに捨ててきてよ。
 げんなりして離れようとした時、既視感に襲われる。
 寝転んだレヴィの横に膝を付いているオレ。捲れたシャツから見える脇腹に引き攣れた古傷。覗き込んでると前髪から拭いきれてなかった滴がパラパラ、レヴィの顔に落ちた。

「あ、」
『オレの傍にいるのオマエしかいないだろ』
 唐突に記憶がカチっと噛みあって、耳奥に残っていた自分の声が再生される。
『死なないで、置いてかないで』

 うわぁぁぁ! 王子が泣くとかありえーねーし。つか何年前のハナシだよ。10年くらい前だっけ?
 こっ恥ずかしい記憶に頭抱えてゴロゴロ転がって悶えてると、「ひとの寝床で暴れるな」、と眉間にシワ寄せたレヴィが目で文句垂れてくる。
 うっせえ、それどころじゃないんだよ。あああ、マジ勘弁。黒歴史。
 ……そういえばコイツは憶えてんのかな。ひとしきり転がり終わった後、気になって横目で伺っていると、ぶ厚い唇が不意に開いた。
「此処に」
 あん?
「落ちるぞ」
 そう宣言したきっかり1秒後、空全体が白くなって建物が揺れた。遅れてきた轟音に空気がビリビリ振動する。
「そろそろ雨もくるな。街に降りるか」
 そう呟いてから、バネ仕掛けの人形みたいに腹筋だけで勢い良く起き上がったレヴィの顔は、急に起きた所為で血の気が引いて青白い。
 ああ、そうだ。あの時も血が止まらなくて、こんな風にレヴィの顔が青ざめていた。それを見ながらオレは世界に一人で取り残されたみたいにぴーぴー泣いてたけど、今となっては何がそんなに不安で悲しかったのか、自分でもわからないけど。……ん? 
 自分の中からポロっと出てきた単語に首を傾げる。
 悲しい? 何が?
 ガキだったから、取り残されて不安だったのはわかる。知らない出先の土地で狙撃されたんだったし。
 でも殺すことも殺されることも、オレの中ではメシ喰ったらクソするのと同じようなことだ。
 兄殺しと指されるずっと前、たぶん産まれた時から自明のもの。だからヴァリアーにいた。そこでもずっと同じだった。
 8年間、ボスが起きるまで、誰も欠けずにいたのは、単なる偶然。これからも然そう。悲しんだりしない。何だかんだで今日も生きている、ボスバカのムッツリタラコが居なくなってもオレは泣いたりしない。
 でも、あの時の、小さなオレだったら。愛着が湧き出したモノが居なくなったら、泣くかもしんない。

 あれこれ考えると頭が重くなってきた。眠い。このまま寝よっかな。
 でもレヴィの臭いのするベッドで寝るのも気色悪いしなぁ。迷いながらも、ぐらぐらする頭を支えきれずにシーツにダイブすると、遠くから声が響く。
「ベル、寝るのは我慢しろ。ボスたちと合流するぞ」

「オレさ、今ならお前が死んでも、」
 泣かないよ。泣かないけどさ。要らなくもないよ。
「はぁ?」
 うとうと、夢に片足突っ込みながら、オレは考える。
 馬鹿みたいに追っかけたシーズンも、もうじきイタリアの勝ち越しで終わる。
 そしたら今度は王子のリクエストに合わせてどっか行こうよ。殺し屋巡りもしたいけど、それは門外顧問とかツナヨシあたりが煩く言ってきそうだから保留で。
 海でも行こっか。
 カジノとバーがあればオカマとチビは文句言わないし、ボスも銀色鮫が横にいたら退屈しないでしょ?
 しょーがねーから、レヴィも連れて行ってやるか、運転手くらいにはなるし。

「さっさと車出せよ、ノロマ」
 寝ぼけ声で指示したら、着替え途中のレヴィが鼻の穴から息を吐き出した。  それがスクアーロと喧嘩する時と違って、小さな子供のわがままを受け流す風だったから、何かムカつく。うわ、レヴィの分際で生意気。やっぱここらで一回くらい床に沈めとこっかな。
 眠気を殺して起きたオレの頭に暖かい手が置かれる。
「車を回してくるから、髪をちゃんと乾かしておけ」
 レヴィが伸ばした手は、いつかみたい途中で落ちないで、今度はちゃんと届いてオレの頭をくしゃりと撫でる。
 鼻の奥が少し熱くなった気がしたのは、風邪引きかけたからだ。きっとそうだ。


『旅する獣』(2008年冬コミ)



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