ビルの上、黒尽くめの男が風の強さに目を細めていた。
彼が佇むヘリポートは広く拓け、身を隠す場所が無い。そのことに本能的に不安を感じてしまう。
他には頓着しなかった。いつものことだ、同じファミリーの者から己に向けられる鋭い視線も、密に呟かれる侮蔑も。
忌まれる必然。憎まれて当然。そうでなければこの部隊の紋を掲げる意味がない。
やがて遠くから羽ばたきに似た機械音。
ドン・ボンゴレ専用ヘリ。その機影を誰よりも早く認め、まだヘリが完全に降り立つ前からその場に居合わせたボンゴレの誰よりも早く、レヴィ・ア・タンは屋上に膝を付き頭を垂れた。
彼はそのまま目に床を映しながら微動だにせず、降り立ったドンへと群がった本部幹部たちの世辞の数を数えている。
「会うのは幹部任命以来だね」
どれほどそうしていたか、信じられないほど穏やかな声が降ってきた。
「はい」
短く応えたレヴィは、それでもコンクリートと磨かれた革靴から視線を上げない。
頑ななその様をしばらく眺めていたドンが、踵を返しながら口を開く。
「下まで付き合ってくれないかね」
何気ない思いつきといった口調のそれが、それでも拒絶を許すはずもなく、レヴィはもう一度だけ短く応え顔を上げて後を追った。
ヴァリアー幹部を認め、ホールに待機していた側近達の顔が強張った。
それを僅かな身振りだけで払ったドンは、どれほどになるだろうか、呟くのに「2年と3ヶ月ぶりになります」と律儀に返す男に目元を綻ばせ、やってきたエレベーターに乗りこんだ。
ボンゴレ9代目が手ずから押したボタンにより、二人だけを乗せた箱が地上に向け滑り落ちる。
ガラス越しの夕日を眺めるドンと、その背後に立つ彼に従順であるべき暗殺者。
主の意を汲んだように、ことさらとゆっくりと降りていくような密室。
あまりにも出来すぎた状況にレヴィは笑い出したくなった。
切り掛かるつもりなど元より無いが、例えば今このエレベーターを吊るしているワイヤーが全部切れたとしても目の前の小柄な背中は擦り傷一つ負わないだろう。
そういう仕組みで出来ているのだ。最初から。
全ては緻密なコントロールの下にある。
「君たちには、辛い仕事ばかりさせてしまっているね」
囁くように呟かれる老人の独り言にレヴィは沈黙で答える。
誰彼構わず惨たらしく殺し、恐怖と呪詛の対象になる事を辛いなどと思ったことは無い。
自分ではない誰かの命で自分と関係ない者をどれだけ薙ぎ倒そうとも、彼の胸には何の感慨も湧かない。
快楽の為に殺める嗜好者たちも、為すべき解呪の黄金を貯めこんでいる赤ん坊も、ひたすらに伸びる髪と剣を誰にも触れさすまいとするアイツも。きっと同じだという奇妙な確信さえあった。
ただ時折、どうしても胸が痛かった。
まるで溺れていくみたいに上手く息ができなくて苦しかった。
痛みの正体は、容易に想像出来た。
喪失感だ。
あるべきものの位置に暗い穴が開き、まるで身体の半分を無理矢理に引き千切られたような激しい喪失感で、本当に息ができなくなりそうだった。
苦しい。溢れだしてしまいそうな言葉を押さえつけながら、今日も誰かを切り刻んでいく。
そして、いつからかレヴィは気付いていた。
この胸の痛みはたぶん、目の前にいる偉大な長も背負っている。
誤ってしまったのは、誰なのか。求めた子か、与えられなかった父か。
道が別たれたのは、どこからなのか。最初の出会いか、血の掟か。
強大なドン、讃えられるべき彼ですら後悔に苛まれ、苦しんでいる。
苦しみは道を踏み外させ、コントロールを徐々に失わせていく。
影の中で血に塗れながら力を蓄えている自分達が閉塞していっているのか、開放の時を待っているのか、視通す能力の欠けたレヴィにはわからない。
開放され加速した力の先に何があるかもさして重要でもない。
痛みを抱えながら、唯一の望みに全てを投げ打つ。
(どうか、もういちどあのひとに――)
呟く脳裏、赤く光る瞳が射抜く。
その光が明確な像を結ぶより早く、微かな揺れを伴ないエレベーターが地階で止まった。
ガバナマシンのおかげでエレベーターは綱が切れても落ちない、らしいです。
これを初めて知ったときはかなり驚きました。
指輪編での9代目は「良かれと思って最悪の形に叩き込む」というタイプの元凶ですが、そんなじじいは嫌いじゃないです。
あの「ひゃっはー」って笑う影じじいはもっと好きですが。