「違うよ。人差し指じゃなくて薬指から」
「ム、こうか?」
「違うってば。上からじゃなくて下から潜らせてよ」
本を置いたテーブルを挟んでやり取りをしているのは、小さく身を屈めた大男と精一杯伸びをしているチビすけ。
もたもたと動くゴツイ両手の間にあるのは、毛糸の紐。
……なにこれ?
ただ突っ切るだけの筈だった部屋のあまりにも異様な風景に思わず足を止めて首を傾げていると、ソファに腰掛けていたルッスーリアが「ベルちゃん知らないの?これは『あやとり』よ」と注釈をつけてきた。
いや、ソレくらい知ってるし。
オレが聞きたいのは、なんでヴァリアー幹部が一生懸命あやとりに取り組んでるんだってことでさ。
「マモちゃんがね、本で見つけてきて。やってみたいって」
でも、あのちっちゃい手じゃ上手く出来ないでしょ、だからレヴィの手で代わりに。でもほら、レヴィってば不器用でしょ、中々完成しないのよね〜。空いている方のソファに座ったオレに、クネクネした身振りでオカマが説明する。
「ルッスリーアがやればいいじゃん、ムッツリよりかは上手く出来るだろ?」
「そんなこと言えばベルちゃんの方が器用でしょ」
どうでもいい会話をしつつ、手伝うでなくただ見ていた。
そろそろ西日がキツくなってくる午後。窓際に居る大男もチビすけも、手の中でゆるゆると縺れ合う毛糸にも光は投げかけられて俺たちの方へと長い影を作っていく… 「う゛お゛ぉい、ベル!てめぇ何時まで待たしやがんだぁ!」
穏やかな気だるい空気を蹴散らせて、けたたましく銀の鮫が飛び込んできた。その銀色もこの部屋では、紅く染まる。
そういやスクアーロをポーチに呼び出してたんだっけ。
あー、何の用事だっけ。忘れた。
ま、いっか。スクアーロだし。つーか、うっせー黙れ。空気読め。
「なんか王子いまアップルティー飲みたい。ルッス、紅茶淹れて。シナモン入れたら殺すよ」
「う゛お゛ぉい! だから何の用だったんだよ!」
「あら。ちょうどいい時間だし皆でお茶にしましょうか」
「ちょっと静かにしてよ。アップルティーならミルク入れてね」
「で、出来た」
銘々が好き勝手喋る中、黙々と手を動かしていたアンポンタンが手の中の毛糸紐をそろりと掲げる。
居合わせた全員の視線を浴びたのは、歪な形の網目。
「これが、猫のゆりかご?」
赤ん坊が何故か用心深く聞いて、レヴィが自信なさげに頷く。
てか、コレ超簡単なヤツじゃん。こんなのに苦戦してたレヴィってマジやばくね?
哂おうとしたオレの声に遮ってスクアーロが吼えた。
「すげぇ、どうやったんだ?」
は?
「あらまあ、上手ね〜」
いやいやいや、ちょっと皆さん? 固まったオレを余所に、大の男ども(と赤ん坊1名)が毛糸紐に寄って集ってる。
ありえねえし!
頭のおかしい連中どもの頭のおかしな光景に、オレは頭を抱えてソファに倒れこんだ。
そんな、どうだっていいような光景ですら忘れる事ができないでいる。
「オカマ」
「なぁに、ベルちゃん」
1つ多い
足を投げ出したソファの上からそう指摘すれば、しばらく小首を傾げてぼんやりとしていた視線がカップを数える。
「やだわ、私ったら」
銀の盆にのったカップは6つ。1つはシナモンが入っていない。そして1つには砂糖とミルクがたっぷり入っていた。
「本当にいやだわ」
くしゃり、とルッスーリアは顔を歪める。だからといって、1つ余分なそのティーカップを片付けるでなく泣き出すでなく、ルッスーリアはそれ以上動かなかった。
オレも似たようなもんだった。苦い粉薬を飲んだ時みたいに喉の奥がチリチリする。でもどうするべきかわからない。
あのボスですら同じ状態だった。誰を殴るわけでも、何を壊すわけでもなく、ただ頬杖を付いて偶に足元を見やる。まるで其処を小さな生き物が通ったような錯覚をボスも感じているのかもしれない。
分かるよボス、なかなかその感覚って消えないんだよね。残り香みたいな気配が、ふわりとあわられる。
メシ喰ってると、背の低い影がするりと身体の脇を通りすぎる。
振り返っても誰もいない。
テラスに居ると、か細い声が聞こえてくる。
探しても誰もいない。
この数日間、オレたちはずっと同じ姿勢でいるような気がする。今は動きたくなかった。外では本部のクソ連中やら、ミルフィーユだかなんだか知らない奴やらが蠢いているけど、そんなのどうでもいい。
ただ、こうしていると、あるべき場所にあった不在がくっきりと生まれるのも事実だった。
生意気で強欲な守銭奴、小さな赤ん坊の姿をした穴がぽかりとオレたちの間に空いてしまっていた。
穴に当てはめるべき言葉は、形に成らずに、まるで薄い霧のようにオレたちの周りを漂っている。
相変わらず動く気がしないオレの前にいつのまにかレヴィがやってきていた。
そういえばコイツはどこにいたのやら、しばらく見た記憶が無い。
寝そべったまま投げ出したオレの手のひらに、自分が握り込んでいた物を乗せる。ふわふわとした感触。
「何だよ」
「やり方を忘れてしまった。作ってやってくれないか」
手向けに ―― そう言われた手のひらの上、柔らかな毛糸紐。
5グラムもなさそうなソレを見て、何故だかオレはストンと理解した。
ああ、そっか。飽和してしまっているだけで、悲しみはまだそこにあったんだ。
オレたちは柄にも無く小さな死を悼んでいた。
だったら。ちゃんと別れの言葉を告げてあげないと。
さよなら、マーモン。オレたちはみんな君のことが好きだったよ。
本誌でヴァリアーのシルエット登場が嬉しかったのですが、マーモン不在がじわじわ効いてきてます。